シナリオの出版

 訴状を読んでちょっとげんなり(シナリオ作家協会からリンクが貼ってあります)。「≪前代未聞の異常事態≫」だとか「原作者の「横暴」」だとか、「芸術論」が云々とか、なんで、そんな人を煽るような表現を使うかな。
 映像版の台本の出版不許可がどうして脚本家を軽んじていることになるのか、私にはよくわからない。 原作者がシナリオを直してくれというのはむしろ当然のこと。小説と映像表現が違うのは当然としても、小説の映画化である以上、原作者の世界観・意図と違うものが映像版で出来上がってしまったら、原作の評判にも関わってしまう。それに、映像が残るのは許せても、活字で残されるのは許せないっていうのも、作家の側からすれば、わからないことじゃないと思うのだけれど。シナリオで読むより、原作を読むのが本筋だと思うし。それを強硬にシナリオを出版させろという方が、脚本家の「横暴」なんじゃない? と門外漢は思うわけだ。
そもそも、本当に、映画の脚本の出版が社会的な慣行として認められるのかに疑問がある。下で書くように、それが争点なんだけど。あ、あと、代表シナリオ集っていうのに収録されるのが、「文化的遺産としての意味を持つ利用」だと持ち上げられるようなものなのか、ね。わからんわー。

 今回の件の争点は実に単純で、シナリオ集へのシナリオの収録が「一般的な社会慣行並びに商慣習等」に当たるかということ。
 映画を作るにあたって、イッツ・オンリートーク著作権を管理する文藝春秋(甲)と、映画を制作するステューディオスリー(乙)の間では、原作使用契約が結ばれている。その3条5項(乙は、予め甲の書面による合意に基づき、別途著作権使用料を支払うことによって、次の各号に掲げる行為をすることができる。ただし、甲は一般的な社会慣行並びに商習慣等に反する許諾拒否は行なわない。←訴状より引用、太字はplcによる)の解釈の問題だ。
 日本で年間に公開される映画の本数は邦画だけでも400本以上。ドラマやアニメ、舞台作品など、「シナリオ」全体に広げれば、いったいどれくらいの数のシナリオが年間に生まれているというのだろう。そして、そのうち、いったいどれくらいが出版されているのか? それらが、ひとつの鍵になるのかなーと予測。
 その他、映像化のための脚本の作成と、その出版とが、同一、1回の原作使用契約の締結で解決できるものなのか、きちんと契約書を見てみないとわからない点があるけれど。それは他の原作付き収録作品がどのような経緯の許諾をもって収録されたのかで解決できる話よね。

映画脚本を出版拒否、原作者・絲山秋子さんを提訴
 芥川賞作家の絲山(いとやま)秋子さんの小説を原作として製作された映画の脚本を巡り、「絲山さんが脚本の出版を認めないのは不当」として、脚本家の荒井晴彦さん(62)と社団法人シナリオ作家協会(東京)が14日、絲山さんを相手取り、出版妨害の禁止などを求めて東京地裁に提訴した。
 問題となったのは、絲山さんの小説「イッツ・オンリー・トーク」が原作の映画「やわらかい生活」の脚本。訴状によると、荒井さん側は2003年、小説の著作権を管理する出版社「文芸春秋」と原作使用契約を結び、脚本を執筆。映画は06年に劇場公開された。
 この脚本は、同協会が毎年発行する「代表シナリオ集」の収録作品に選ばれたが、絲山さんが「(同脚本を)活字として残したくない」と出版を拒否したため、収録できないままだという。同契約には「慣行に反する許諾拒否は行わない」と記されていることから、荒井さん側は「出版拒否は契約違反」と主張している。
 絲山秋子さんの話「訴状を確認していないので、コメントはできない」

YOL(http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20090714-OYT1T00969.htm

絲山氏に出版拒否不当と1円請求「やわらかい生活」脚本
(略)
 荒井さんと協会側は「脚本執筆や映画の製作、公開、DVD化などをすべて了解しながら、出版だけを拒むのは理解できない」と主張。慰謝料相当額は荒井さんと協会で計400万円としたが「金銭が問題ではないので一部のみ請求する」として1円ずつにとどめた。
 会見した荒井さんは「シナリオができた時から『直してくれ』という申し入れはあったが、できる限り聞いてきた」と訴え、協会側も「原作に基づいたとしても小説と映像表現は違う。今回のように脚本家が軽んじられるようなことがあってはならない」と指摘した。
(略)
引用:47NEWS(共同ニュース)(http://www.47news.jp/CN/200907/CN2009071401000558.html